ボールはどこへ消えた?〜我慢が当たり前になった産後ママへ〜

我慢が当たり前になった産後ママへ

今夜は何が何でも20時にはお布団に入ってもらう。私は、そう決めていた。

長男は4歳、次男は0歳。話して、言う通りにしてくれるわけではない。それゆえに、20時に布団に入ることは容易ではない。昼間の活動内容とお昼寝の時間。子どもたちをいつお風呂に入れて、いつ夕飯を食べさせるか。そして、そこから逆算して、その準備をいつにするか。

今日だけは、早く食べ終わって欲しいので、夕飯のメニューは好き嫌いの多い長男のことを考え、ハンバーグとなめこのお味噌汁を選択。

計画としては万全なはずである。あとはその通りに実行できるかどうか。

ここまで綿密に計画を立てたのには、理由がある。私は何としてでも今夜20時から行われるオンライン読書会に参加したいのだ。全てが計画通りにいくのが難しいのはわかっている。スタートに間に合わなくても仕方ない。ただ、30分の遅刻で済ませたい。読書会終了22時までに1時間半、読書会に参加できれば、私としては勝利である。

そのためには、何としてでも20時にはお布団に入ってもらい、寝かしつけをスタートするのだ。

大人と話したい

こんなに読書会に必死になるのは、本がめちゃくちゃ好きだからというわけではない。本はそこそこ好きだ。でも読書会に求めているのは対話だ。智のある大人との対話なのだ。対話こそが、読書会に参加する真の目的なのだ。

次男が生まれ、産後半年が過ぎ、ようやくまとまった時間を眠れるようになった。人間らしい文化的な生活が送れるようになってきて芽生えた欲は「大人と話したい」だった。

赤ちゃんとの毎日は、24時間「あ」を中心とした母音中心のコミュニケーションで、楽しい思い出と寝不足、そして、大人と話したいという欲を募らせていった。

ボールはどこへ消えた?

家にはもう一人の大人、夫がいる。実際に、子どものささやかな成長は夫とシェアできる。

しかし、授乳中にハマったドラマの話題や、実は大好きな田中圭が出る舞台の話は夫には話せない。

いや、話せはする。でも聞いてくれない。相槌どころか、目線もスマホから上げもしないし、「ふーん」も「へー」もないことが容易に想像できる。

夫に話すのは壁に話しかけているに近い。むしろ壁すらないのかもしれない。壁なら最低限ボールが跳ね返ってくる。

私の投げたボールは、キャッチャーも内野手も不在のまま、ただ静かに、何もない空間に消えていく感覚である。

子どものことはキャッチしてくれるのに、妻である一人の人間としての私の話しは聞いてくれない。そんな虚しさを感じていた頃だった。

見つけたオアシス

世はコロナ渦。オンライン飲み会なども流行し、zoomが生活に馴染んできていた。

コロナ渦では、オンライン読書会が大いに賑わった。初めての人同士で、好きな本、好きな作家の話を遠慮なくする。赤子としか接していない私は、社会から切り離されているような感覚に襲われることがあった。そんな時に、読書会に参加すると「私も世界と繋がっているんだ」ということを思い出すことができた。

ちっぽけなことかもしれないが、あの頃の私にとって、読書会は日々の乾いた心に潤いを与えるオアシスそのものだった。読書会を想像するだけで気持ちが高揚するのである。

綿密な計画の先にあったもの

私は、オアシスのために必死だった。

お風呂はいつもより1時間早く入れ、夕飯は午前中のうちに作っておいた。お昼寝は夜寝れなくならないようにと、13時には切り上げ、その後は体力を消耗させるために、3時間みっちりと公園遊びをした。

ここまでは完璧だった。しかし、お風呂上がり、私の計画が狂い始める。子どもたちの身支度を先に整え、自分の髪をドライヤーで乾かしている時だった。

ドライヤーを終え、ちょうど炊けたご飯をよそおうとリビングに向かうと、驚愕の光景が飛び込んできた。

「えぇぇぇーーーー、長男、寝てるやんけ!?」

布団もタオルケットもないのに、床の上で長男が寝息を立てている。

「しまった。」疲れさせるのに必死になり、公園遊びが長すぎたか。

無理やり起こしても、時すでに遅し。一瞬の睡眠がその後に何をもたらすのかを嫌というほど知っている。長男が覚醒して寝てくれない未来が脳裏をよぎった。しかし、諦めたらそこで試合終了である。もしかしたら、寝てくれるかもしれない。私は、希望を捨てずにグズるままにご飯を与えた。

長男は夕飯は、食べ終わる頃には、元気いっぱいになっていた。目はギンギンだった。グズったせいで時刻は20時45分になっていた。20時にベッドに入ることも叶わなかった。

ベッドに連れていくが、ベッドの上で単独アリーナコンサートが始まってしまった。部屋を暗くしようが、怒ろうが、寝たふりをしようが、彼が寝ることはなかった。結局、寝付いたのは21時50分だった。読書会終了10分前だった。

贅沢な悩みなのだろうか?

読書会には無理やり滑り込んだものの、ラスト10分では対話など楽しむ余裕はなかった。結局、自分の感想を一言だけ発し、そのまま解散の流れとなった。

zoomを閉じた後、その日の疲れが一気に押し寄せてきた。

私は何のために今日頑張ってきたのだろう。虚しかった。

なぜ読書会の日に夫は飲み会だったのか。公園で3時間遊ばせたのがいけなかったのか。ドライヤーを後回しにして、髪が濡れたままでも先に子どもにご飯をあげればよかったのか。

考えれば考えるほど、虚しかった。

虚しさを散々に噛み締めた後に、急激に誰かと話したい欲が膨れ上がった。

そうだ。そもそも、私はこの欲を満たすために今日という一日を頑張ってきたのだ。

読書会は手段に過ぎない。誰かと話すという願いは他の方法でも叶えられるかもしれない。せめて誰かにこのことだけでも話したい。

そうは言っても、時刻は22時をまわっている。

夫はまだまだ飲み会真っ最中だし、そもそも私の話なんか聞いてくれない。

ママ友が一瞬頭をよぎったが、駄目だ。私より大変な状況にいる人も多いし、そもそも「夜に読書会に参加したいなんて贅沢な悩みだ」と思われてしまう。

学生時代の友達はどうだ。「読書会に参加できなかった」という一言を言うために、わざわざ、年に1、2度しか会わない相手に連絡はできない。

そもそもこんな時間に、誰がこんなちっぽけな愚痴を聞いてくれるのだろう。私は途方に暮れた。

気を紛らわせるためにInstagramを開いた。自分の気持ちが落ち込んでいる時は他の人のキラキラしたポストは毒である。ますます落ち込んでしまうのはわかっていたが、習慣でつい開いてしまった。

しかし、その日は違った。ある広告が目に飛び込んできたのだった。

LivelyTalkがあるじゃないか

今、ぴったりの話し相手が見つかる

LivelyTalk

この手があったか。LivelyTalkは何度か利用したことがあった。以前に購入したポイントもまだ残っているはず。一度、話をしたみほさんともう一度話したいと思っていた。柔らかい雰囲気で、落ち着いて聞いてくれるところが好きで、とくに嘘がないところに安心感があった。

広告をクリックして、LivelyTalkのトップページへと飛んだ。オープン中のトークを見ていくと、ビンゴ!、何とたまたまみほさんがルームをオープンしている。

しかも、ルームには、誰も入っていない。これはチャンス。今しかない。

私は運命を勝手に感じながら、ドキドキしながらみほさんのルームに飛び込んだ。

久しぶりにも関わらず、ゆったりと迎えてくれるみほさん。話したいのに、なかなか本題に踏み込めない私に、みほさんは優しく質問で誘導してくれる。

気がついたら、私は今日のこの一日のことを話し始めていた。

話してみると、なぜか止まらない。ちっぽけなことだと思っていたのに、自分でびっくりするほど愚痴が次から次へと出てきた。みほさんは話を遮ることなく、ときおり質問で返してくれながら、私の話を受け止めてくれた。「もっと詳しく話したい」、「もっと理解して欲しい」という気持ちを抑えることができず、私は夢中になって話しつづけた。

そして、私は全て話し切り、改めてみほさんを見た。すると、みほさんは私としっかり目を合わせながら、涙をこぼしていた。

気付いた本当の自分の感情

驚いた。どうして泣いているのだろう?

でもその涙を見ていたら、私もじわじわと涙が溢れてきた。なぜなのかは自分でもわからなかった。みほさんは「私だったらそんなの悔しい」と言いながら、私より先に泣いてくれた。その時になって、ようやく私は気づいたのだ。

私はずっと泣きたかったんだ。

産後、自分のことはすべて後回しだった。自分より小さな命のために、それは当たり前のことだと思ってたし、まわりからも当たり前のことだと思われていた。

だから褒められることなんてなかった。母親である前に一人の人間として私を大切にしてもらえたことはあったのだろうか。もしかしたらなかったのかもしれないし、あっても気づかないほど、毎日のことに必死だった。自分の感情も無視して、自分ですら自分のことを大切にできていなかった。

みほさんは私の話を聞いて、共感して泣いてくれた。私のために泣いてくれた。それはつまり、私個人を大切にしてくれることだった。

世間からみればちっぽけな出来事でも、私にとっては大きな事件だった。その事件のせいで大切にされない自分に気がついてしまったのだ。

私は本当はずっと泣きたかった。泣いて、誰かに受け止めて欲しかったし、誰かに大切にされたかった。

みほさんに最後まで話しを聞いてもらうことで、私はやっと自分の感情と距離がとれるようになった

みほさんと話していなかったら、私は泣くこともできず、いまでもヘラヘラしながら「まぁ、あるあるですよね」とか言ってたかもしれない。自分の感情を無視しながら。

そうして、私は

次の日の朝、やけにスッキリしていた。夫は相変わらず私の話を聴いてくれないかもしれない。今日も目線はテレビを捉えたままだ。でも私は夫の横顔に向かって言うことができた。

「聞いてよ、昨日超大変だったんだよ」

夫は「あ、そうなんだ」と聴く気のなさそうな返事をした。

聞いてくれなくても、諦めずにボールを投げることはできる。今日は空を切ると思っていた私の投げたボールは夫の頬をかするくらいはできた。

だから、これからもまずは一言伝えてみようと思う。だって、私は私をもっと大切にしてあげたいから。何でもかんでも感情を無視して、我慢しつづけるのはもうやめようと思う。

とても大切なことに気付かせてくれたみほさん、本当にどうもありがとう。

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この記事を書いた人

小町のアバター 小町 LivelyTalkホスト

「劇団うちうち」の小町です。2歳・4歳の男の子、パパ、小町の4人家族/金融系が本業/結婚式スピーチの代筆業もやってる/一度会ったらともだち/小町は学生時代のあだな/読書/演劇/カフェ/飲み会/田中圭